Re:1月30日の黒澤勇人作品「未定」について

というわけでどこまでちゃんと書けるかわかりませんが、
三つ前の高橋君のエントリー、
自分の作品に対してのものの返答文を。
そのエントリーはその日の詳細なレポートにもなっているので
どういうことが当日あったか、
というのがよくわかって良い感じです。
以下は来た人か高橋君のを読んでないとわからないやも。

まず曲のスタートが
1:00からだったのですけど
0:00秒から始まった人もいたと言うこと。

ストップウオッチなしである程度の人数で同じ時間軸で演奏できるように
時計を持ってきたのですが、
ストップウオッチの0:00から始める様ではなく
その時の時刻に加算して考えていくことが必要になった為、
ちょっとややこしくなってしまったのかもしれません。

この曲自体は
ミュージック・コンクレートや
サンプリングミュージック的な
面白い音を鳴らしていく、という観点か、

加藤君の表現にあるような
時間を聴くような、演奏としての無音を
多くしていくか

この二つの間で揺れておりまして、
今回の楽譜自体は若干沈黙寄りにしてあったと
思うのですが、
この日0:00分状態にも音が入っていたのを聴いて
これで今回はサンプリングミュージックに
近づいたなと思いました。

それぞれの音がずれ、
音が鳴ってない瞬間が少なめになったので。


とは言っても書いている途中で思い出したのですが
この曲はもともとストップウオッチを使った曲や即興の
時間感覚をお客さんにも体験してもらって、
そうすることでこういう演奏を聴く時の面白さにも
気付いたりしないだろうか、という目論みで
作っていたようだった気がします。

そうすると音数多くというのは
あまり得策ではないかも知れません。


後は・・なんだろう、
そうだ、
なんだかんだと
皆が電子音を出せる楽器または音具を
常に持っているという状況は
結構かつてない状況という気もします。

ハーモニカを好きで常に持ち歩いている人は
いるかもしれないけれど
全員が持ち歩いているかというと全然別な話しだし。

今の時代になったからできるもの、という気がしております。


とはいっても携帯自体皆が持っているかというと
別な話で
自分が演奏に参加しない
観客の立場に立つのは
もし携帯を持ってない人が何人かいた場合
安全弁のようなものとして働くのかもしれません、
これは後付けになりますが。


とりあえずこんなところで、
思いつくまま書いてしまったので
また何かあったら追加します〜。


黒澤